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第48回 802ちず楽会
日時:2025年11月15日(日)13:00集合
集合場所:京王片倉駅 改札口付近
散策コース:京王片倉駅→斟珠寺・時田弁財天→長慶寺→京王山田駅→山田川→御所水弁天→御所水通り→JR西八王子駅
【小比企丘陵の地形】
地理院地図+陰影図

【斟珠寺】(たんしゃくじ)
臨済宗南禅寺派の寺院
(片倉村)斟珠菴
小名時田にあり、禅宗臨済派、同郡山田村廣園寺末、常龍山と號す、開山は春林西堂(永禄12年1569年寂、永禄十二年六月六日寂示寂す、本尊弥勒、本堂八間に五間半、南向なり、慶安年中(1648-1651)御朱印五石の地を御寄附あり、菴室にして御朱印を賜ひしは、其例多からざれば、謂れあるべけれどもつたへず。
辨天社。境内の鎮守なり、寺の西の方池の中嶋にあり、九尺に二相阿、池の周廻三十間許もあるべし。(新編武蔵風土記稿より) この寺は、廣園寺とともに伊能図にも記載がある。
【時田弁財天】
斟珠庵境内。表門の傍にあり。広さ十四、五間四方。池中の島に辨弁天の社あり。清泉は谷間より湧き出す。池水清涼にして、深さ一尋余。斟珠庵の境内辺を小名時田と号するゆえ、時田の弁天と称せり。(植田孟縉著『武蔵名勝図会』より)
池の背後の崖線からは豊富な湧水が流れ出ている。
【北野街道】
東京都が通称道路名として定めている名称。
日野市南平の川崎街道の高幡橋南交差点から、八王子市館町の町田街道の館町交差点に至る延長12kmの往復2車線の都道。一部は明治期に存在した旧道ルートと重なる。
【長慶寺】
臨済宗南禅寺派の寺院
(小比企村)長慶寺
境内除地、二段三畝十六歩、字竹内にあり、禅宗臨済派、本郡山田村廣園寺の末、小比企山と號す、客殿五間に六間半、南向、本尊釋迦木の坐像、長七寸許、運慶が作と云、開山は存意玄誠、天文十六年(1547)の建立なり。(新編武蔵風土記稿より)
【山田川】
延長:4.8㎞
上流端:山田町 西谷橋、下流端:北野町 浅川合流点
街中のコンクリートにおおわれた3面ばりの川というイメージが強いが、上流域には自然が多く残る場所もあり、下流域でカワセミの目撃情報もある。27本の橋が架けられている。
共に古道の都道506号線と市道243の交差点近くの月見橋の袂には地蔵尊が祀られている。
【御所水弁財天】
この付近は、江戸時代に御所水村(新横山村の枝村)と呼ばれていた。御所水はここにあった湧水を指す。「御所」は、ここに散田の真覚寺にある「高宰神社」に祀られている公卿の屋敷が近くにあったことによるという説と甲斐の武田滅亡後、武田信玄の娘松姫等がここに住んだことによるという説がある。池からの水路が今も谷沿いに見られ、西八王子から富士森公園に向かう御所水通り沿いに北流し、高校の辺りから東流して、かつては大久保長安陣屋跡につづいていたという。第17回(2016 03 13)に訪れている。
境内を散策していると、神社を守っている当番の方が扉を開けて中を見せてくれた。正面に弁天像が安置され室内も掃除がされて奇麗に保たれていた。話をうかがうと、神社の北側にはかつて3つの池があり、松姫が現在、信松院に保存されている舟を浮かべて遊んだことが伝えられているという。訪れる人と出会うことも少ないということで、帰りに私たち全員にお供えの紙パックのお酒と一ひねりの塩をいただいた。
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散策コースの地図(PDF)

斟珠寺境内

斟珠寺境内

斟珠寺本堂
 斟珠寺本堂

斟珠寺境内

東屋

境内からの眺望

弁天和泉中水死者供養

弁天池から望む斟珠寺

時田弁財天

時田弁財天の鳥居
 時田弁財天
 時田弁財天
 時田弁財天
 弁天池畔の庚申塔

弁天池畔の庚申塔

庚申等の由来

弁天池畔の地蔵尊

時田弁財天と斟珠寺

北野街道沿いの酵素風呂屋

北野街道沿いの酵素風呂屋

北野街道

北野街道歩道に現れた水路跡

長慶寺入口

長慶寺境内

長慶本堂

長慶寺境内の地蔵尊

駐車場から見た長慶寺

小比企丘陵上の京王線

小比企丘陵上の京王線

横山225線歩道橋からの眺望

横山225線歩道橋からの眺望

御所水弁天入口の木柱

御所水弁天入口の地蔵尊

御所水弁天入口の祠

御所水弁天入口の祠

御所水弁天の鳥居

御所水弁天

御所水弁裏の稲荷

御所水弁裏の稲荷

御所水弁天の通り

御所水通りの庚申塔

御所水通りの庚申塔

御所水通りの庚申塔

拓真高校前の地蔵尊
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