八王子城址を歩く(2015 05 24)

 平成27年5月24日(日)、13:00にJR中央線高尾駅にメンバー15人が集合。案内人は、地図会社に勤務する若手のMさん。 今回は、第3回以降全参加のKさんのお子さん2人も参加。八王子観光協会からはTmさんにかわりTsさんが初参加。 朝は雲が多く、山道なので雨を心配したが、午後からは晴れ間が出てやや暑い初夏の陽気となった。
 この日の散策コースは、高尾駅からバスで八王子城の城下町入口に行き、そこから城下町に残る城の痕跡を辿りながら、城の中枢機能があった城山川の谷の奥へ向かい、最後の戦いの場となった標高445mの八王子城山頂を目指す。
 八王子城址は、北条氏照の居城として日本百名城の一つ挙げられる戦国時代最大級の山城であるとともに、豊臣秀吉の天下統一に向け、戦国時代最後の激しい戦いが繰り広げられた場所でもある。
 高尾駅から八王子城址行きのバスに乗り、中央高速道路の高架橋下にある霊園前バス停で下車。バス停近くには八王子城の城下町入口に設置された大手門があった。大手門を越えたところからが城域となり、その外側(現在の高尾街道沿い)には滝山城の上下町から八幡、八日市、横山の市が移されていた。霊園前のバス停から、一旦バス通りを高尾方面に戻り、八幡神社(梶原八幡宮)に向かう。神社は八王子城下への入口にあり、裏手の丘からは平坦地が広がる元八王子の扇状地が一望できることから、ここに大手門警護の砦が設置されていた可能性が高い。

【梶原八幡宮】
 建久2年(1192)に源頼朝の命により、梶原景時が鎌倉の鶴岡八幡宮をこの地に勧進したと伝えられている。
 参道の途中には、幹回り12m、高さ30m余りに達する杉があったが、昭和47年(1972)に枯れてしまい、現在は根元の切り株が残っている。この杉は、梶原杉と呼ばれ、梶原景時が地面に刺した杉の小枝(杖ともいう)から芽が出たものとの言い伝えもある。また、枝が下を向いていたことから逆さ杉とも呼ばれていた。
【稲荷神社】
 梶原神社を出て再び霊園前のバス停の道に戻り、八王子城址入口交差点を左折して中宿の根小屋地区を進む。
中宿の中ほどの道沿いに石の鳥居が目に付く。鳥居の脇には狛犬では狐の像があることから稲荷神社であることが分かる。神社の名前は見当たらないが軒下の正面の額に「鱗」の文字と向かって右側の額に「神護」の文字が見える。向かって左側の額は八王子神社を祀った妙行の修行を描いたと思われる絵である。拝殿の横の祠には稲荷の使いである小さな狐の像が所狭しと並んでいる。入口の鳥居の横には一面に寄進者の名前を刻んだ石碑がある。
 「鱗」は北条氏の家紋三つ鱗、神護は八王子権現の寺、神護寺(昔はこの地区をジゴジと呼んでいた。)などから、八王子権現や北条氏と関わりのある稲荷神社であることが推察される。

【宋関寺・北条氏照墓】
 八王子城址入口から真直ぐの道が食い違うように曲がる右側は一段高く石垣になっている。曲がり角の東側には道路と直行するように溝状の地形が残っている。中宿大手門に次ぐ第の関門「横地堤大木戸」と呼ばれる堤の痕跡である。この大木戸を過ぎたところが横地監物、中山勘解由等重臣たちの居住地区であった。右側の石垣の上には宋関寺がある。この寺は八王子神社と同時期の延喜年間の草創で、牛頭山神護寺というであった。北條氏照が八王子城築城に伴い永禄7年に復興したが、八王子城落城後に朝遊山宗関寺として再興され、現在北条氏照の墓のある付近にあったが、明治25年にこの場所に移築された。
 宋関寺を過ぎて城山川の支流である華厳谷川沿いの道を北に進むと小高い山の上に北条氏照と中山勘解由等家臣の墓地が尾根上に散在していた。

【山下曲輪(近藤曲輪)】
 八王子城址のバス停近くに八王子城址のガイダンス施設があり、八王子城の歴史や遺構の説明が行われていた。この辺りからの山麓に政庁を兼ねた城主の居館地区となり、御主殿とともに比較的広い平坦地の曲輪が見られる。居館地区の入口に山下曲輪があったようだが、現在はガイダンス広場や駐車場になっており、その範囲は明確になっていない。
 山下曲輪から山頂の本丸方向と谷の奥の御主殿に向かう道が分岐するところに八王子城址管理棟がある。管理棟の周囲には八王子城址の案内板が設置されており、管理棟にはボランティアガイドが常駐している。

【大手道】
 管理棟から城山川沿いの道に下り、城山川に架かる橋をを渡ったところから右岸の山腹に向かう大手道が続いている。山腹に上がった辺りに昭和63年の調査で大手門の礎石や敷石が発見されたが、現在は埋め戻され説明版が建っている。城山川右岸の大手道から左岸の御主殿へ渡るため、御主殿の虎口に架かる曳橋が架けられていた。橋の復元が工事中のため、大手道も通行できなくなっていた。高い橋桁の石垣が曳橋の大きさを想像させる。

【御主殿の滝・溜池堀】
 大手道は通行できないため、城山川沿いの谷間の道を谷の奥に向かうと、城山川が峡谷となり小さな滝が現れる。この滝は御主殿の滝と呼ばれ、現在の水量は多くないが、落城の際多くの人がここに身を投げたと伝えられている。また、城のあった当時は滝の上に堰が設けられ、幅40m長さ120mほどの溜池堀があったというが、現在は堰もなく当時の堀の底にあたる平坦地に林道が続いている。

【御主殿跡】
 溜池堀のあった辺りから御主殿のあった曲輪に上がる。御主殿は政庁があったところで、現在は発掘調査に基づき広い敷地には、建物の礎石間取庭園の石組などが復元されている。敷地の東には曳橋から桝形へ続く石段があり、広場の入口には冠木門が復元されている。御主殿跡から山頂の本丸に向かう道に戻ることにしたが、道沿いの山側にもう一つのアンダ曲輪と呼ばれる曲輪がある。現在私有地になっているためガイドがいないと中に入れない。この曲輪には現在観音堂が建っているが、アンダは阿弥陀が訛ったともいう。

【山腹の曲輪】
 管理棟のある道の分岐部まで戻り山頂を目指してしばらく緩やかな道を進むと谷が広くなったところに出る。正面に石の鳥居があり、そこから山登りの道になる。尾根沿いの道を少し登ると左手が開け平坦な地形が繰り返し現れる。その最上部にある曲輪が金子曲輪と呼ばれる尾根上の曲輪で尾根の先端には、関東大震災の慰霊碑があった。
 金子曲輪の尾根を西に進むと、大手山道、搦め手道、山王台曲輪への道、本丸への道が交わる広場に出る。ここは柵門台呼ばれ、山頂の要害地区に向かう要衝で、石垣や柵門が設けられていたという。現在の広場には特別な施設はないが、ベンチも置かれ急峻な山道の休憩所になっていた。

【山頂の要害地区】
 柵門台から山頂に向かう道は、急峻で石段等の整備されていないので、疲れが見え始めた参加者にはかなりハードな登りとなった。急な上り坂を過ぎ、一息ついたところで北側に伸びる平らな尾根が目に入る。尾根の先端には高丸と書かれた標識があった。ここは要害地区の入口に当たり、搦め手口と大手道が交わる守りの要となるから、北側の搦め手口へ下る尾根には数段の腰曲輪もあるという。
 高丸から山頂の東を巻くように道が続く。尾根の先端に当たる樹木が切れたところからは八王子市街地から相模原方面まで広い範囲が見渡せる。さらにこの道を進むと谷の奥に向かい、要害地区の中心部に位置する中の丸曲輪に入る。この曲輪は、広い平坦部で中央部の奥に八王子神社がある。八王子神社(八王子権現堂)は、八王子城築城の際、北条氏照が八王子権現を城の守護神として祀り、八王子市の地名の由来になった神社である。以前は神社周囲の地面から落城の際炎上した米蔵にあったと思われる炭化した米(「焼米」と呼んでいた)が一面に出土していた。八王子神社は牛頭天王とその眷属神である八人の王子を祀る神社で全国に分布しているが、ここの八王子権現はこの山で修行をしていた妙行という僧侶(華厳菩薩妙行の称号を授かる)が、延喜16年(916)に祀り、氏照が八王子城築城の際守護神にしたと伝えられている。 現在、社殿は覆屋に覆われている。周囲には神楽殿倉庫などの建物がある。
 中の丸の西側の高台に続く石段を登ったところに、城の中心で最も重要な曲輪である本丸跡がある。本丸は尾根の最上部にあり、現在は本丸跡の石碑があるのみであまり広くなく、周囲は木に囲まれている。
 本丸の一段下の南東側は二の丸(松本曲輪)がにある。南東に面した広場からは、高尾山が谷を隔てて見え、相模国から武蔵国が一望できる。
 中の丸を挟んで東北部に位置する三の丸(小宮曲輪)には狛犬と朽ちかけた社殿があるが、訪れる人は少なく、周囲は樹木に囲まれて見晴らしはよくなかった。
 帰りのバスの時間を気にしながら、三の丸を後にし、登ってきた道を下る。麓からの比高は240mほどだが、登山道は急峻である。足元に注意しながら下山し、バスの時間まで時間があったので、行きに寄れなかったエントランス広場に向かった。

【八王子城址の地形模型】
 エントランス広場は芝生で覆われ、周囲にはベンチがあり、休憩施設にもなっている。広場のの中央には八王子城址の地形模型が置かれていて、城の縄張りや施設が分かりやすく説明されている。今回の案内を引き受けてくれたMさんの地図会社では、航空機から発射するレーザー光線を使って測量した詳細な地形データと3Dプリンタを使い八王子城址の地形模型を作成し持参していた。この模型は小さいながら細かい地形が正確に再現されていた。

 バスの出発時間になると、帰りのバス停には、高尾駅方面へ帰る人が集まっていた我々もバスに乗り、終点の高尾駅北口まで戻り、中央線の線路を越えて南口の居酒屋で懇親会をして解散した。
 

 


梶原神社



宋関寺


北条氏照の墓


山下曲輪にある案内板前で


御主殿を囲む高い石垣


御主殿の滝


御主殿の遺構


御主殿入口の枡形


金子曲輪下の連続馬蹄形曲輪


四方向の道が合流する柵門台


山頂付近からの眺望


八王子神社


本丸跡


エントランス広場の地形模型


散策コースの地図

 

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