小宮から日光道を歩く(2013 05 11)

 平成25年5月11日(土)、13:30にJR八高線小宮駅にメンバー5人が集合。いつも参加のKさんは少し遅れて最初の訪問地で合流し、結局今回は6名の参加となりました。
 今回、初参加者は、地元小宮在住で郷土史に詳しいFさんと伊能図のルートを全国25000分の1地形図上に同定したIさんの2名。当日は、朝からあいにくの雨で、予定のコースを歩くのは難しいと考えていましたが、皆さん雨はさほど気にしていない様子。結局、予定のコースを歩き抜きました。
 今回の案内は、連絡役の私Hが担当する予定でしたが、不案内な私に代わり地元で初参加のFさんが引きうけて下さいました。お陰で、普段ほとんど知られていない小宮の歴史や魅力をうかがうことができました。
 また、散策の後半では、伊能図のルートを辿り、既に失われたと思われていた伊能図のルートが現在の道路としてかなり残っていることも確認できました。以下に散策のポイントを振り返ってみます。

【小宮駅周辺】
 JR八高線小宮駅周辺は、かつて「粟ノ須」と呼ばれていた地区。JR八高線が開通したのは、大正14年、昭和5年に刊行された5万分の1地形図「青梅」の図に現在の位置に「こみや」駅が描かれている。駅の南、北側の多摩大橋へ向かう道路の下には、開設当時から変わらない八高線の線路と南に向かう旧道が残っていた。
 そこから歩道橋で八高線を渡り、北に向かうと、すぐに東福寺に着く。振り返ると、東福寺に接して八坂神社の小さな社殿が目に入る。これらの社寺は、南の八高線が走っている面より一段高い段丘の縁にある。
 東福寺の縁起は詳らかではないが、観音堂に安置されている笛継観音は、戦国時代末期小田原北条の出城となっていた滝山城主北条氏照の家臣で笛の名手、彦兵衛にまつわる逸話(笛の名手の家臣に秘蔵の笛を預けておいたが、この家臣の手落ちで壊してしまい、観音に祈ったところもとどうりに戻ったことが城主の氏照に伝わり、この観音像の霊威に感銘し、以降、この家臣は「笛彦兵衛」と名乗ることを許されたという。)が残されている。
 もっとも、参加はこの観音堂より、庭の片隅にある跨ぎ石(この石を跨ぐと子宝に恵まれるという。)の方に興味を覚えたようだった。
 東福寺でFさんの説明を聞いている間に遅れてきたKさんも合流し、当初は西に向かうつもりだったが、Fさんの案内で東に向かうことになった。台地の上の道を北に少し下がり、右に曲がり住宅の中の道を東へ進む。住宅の途切れたところで橋に出た。橋の下を流れるのは、加住丘陵の南の谷を形成する谷地川である。現在の本流は、護岸で囲まれ直線的になっているが、この橋を渡った先に護岸で囲まれてはいるものの、曲がりくねった川が見られる。僅かに残された谷地川の旧河道である。
 旧河道を確認して、橋の手前に戻り川沿いの道を下流に向かって歩く。やがて工場敷地内の道に出たが、この道の曲がり方が工場内の道には不自然な自然の影響を受けた曲がり方をしている。案内人Fさんは、この道が先ほど見てきた谷地川の旧河道の続きだという。言われてみれば蛇行した川の形状のように見える。市街地の水路を覆い、下を下水道の雨水渠にする例は珍しくないが、工場の敷地の道というのは珍しいかもしれない。

【日野用水】
 この道を暫く行くと、川のような水路に出逢う。日野用水と聞き、地形図で確認すると、工場の中を抜け工場北側の道路に沿って谷地川と立体交差し、さらに東に伸びる一条の青い線が目に入る。
 日野用水は、永禄10年(1567)、当時の滝山城主北条氏照の力を借りて、美濃からきた佐藤隼人が開削し、日野の台地の灌漑用水として今日まで440年余りに渡り同じ場所を流れ続けているとのこと。現在も水量は多く、管理も行き届いており、400年以上も前に掘られた水路とは思えない。
 工場の中を歩いていると、建物と道路の間の芝生に松の木があり、「お茶屋の松」と説明があった。
お茶屋の松というのは、かつて日野市と八王子市の境に、たっていた松の大木で、八王子市指定の天然記念物に指定されていたようである。この付近は、古代から国府道と鎌倉道の交わる所で、ここを行き交う旅人の道標にもなっていたようですが、現在は未だ若い松の木が周りの木々に埋もれるようにひっそりとたっている。
 お茶屋の松の前の道を西に向かい、工場の北の道に出たところが、旧谷地川が多摩川に合流する地点だそうで、今も水路のような小川がある。この道路沿いに西に向かうことにしたが、道路の南側には、日野用水が流れていたので、用水沿いの道を歩くことにした。水路の周辺は住宅や畑がしばらく続き、歩き始めに立ち寄った東福寺の前の北に向かう道を多摩大橋の手前で渡り、大規模な下水処理場の前を通って、JR八高線の下をくぐった。このあたりから、南側の丘陵が高さを増し、北側斜面は広葉樹の樹木に覆われている。案内人のFさんによれば、丘陵上に古い道もあるそうだが、雨で足元が不安なので、そのまま丘陵下の道を西に向かう。北側の広い空き地が切れたところに平の集落が現れ、集落の北のやや高いところに寺の屋根が見える。
 集落の東側の道を北に向かい、多摩川の堤防近くで再び日野用水に出逢う。平の取水堰はすぐ北である。集落を抜け、北に向かい、多摩川の堤防に上がると、川の中に取水施設がある。堤防の南側にはこの堰で取水した水が水路を伝って流れ下るのが見える。かつて、この付近に多摩川の渡し場があったという。

【平の集落】
 平の集落は、今では周辺の丘陵が団地として開発されたため、この集落は気をつけないと見落としてしまいそうだが、江戸時代は日光へ続く主要な街道の拠点であった。集落を西南から東北に貫く道がその街道で、広い道ではないが、道端には石の道標があり、集落の北の高台には小さな集落には不相応とも思える社寺が並ぶ。寺の南の高台にある西玉神社は、元は作目村にあったが、多摩川の洪水で集落ごと流されたため、ここに移設したと伝えられている。大蔵院という寺の西、旧街道から少し西に入ったところに、樹齢500年と言われる太い銀杏の木が立っている。
案内人のFさんは、更に西に進み、参加者を一軒の民家に案内した。表札には「平」の文字が見え、この地区の名門であることが想像できる。Fさんはこの家のご主人とは懇意のようであったが、あいにくご主人は出かけていて、ご子息が外で農具の片づけをしていた。Fさんの依頼でこの家の庭に祀ってある「東照宮」を見せていただくことになった。東照宮は日光の東照宮と同じで、徳川家康を祀っている。東照宮を祀っているところは全国にかなりあるというが、個人の家の中に東照宮が祀られているのは、今ではこの家くらいだろうという。この家が徳川家康を祀っているのは、家康が多摩川を渡る際難儀をしていたところ、この地区の住人が家康を助けたお礼として当時の名主だったこの家の主、平氏に金銭を賜り、平氏がこれをご神体として東照宮を祀ったとものという。

【国道16号に沿い伊能図のルートを歩く】
 平の集落を抜け丘陵の切通しの道を南西に向かい、西側の丘陵上に開発された団地の中の道を西に抜け、国道16号線の広い道に出る。信号のある交差点で国道16号を渡り、道路の西側の歩道を南に向かう。この道路の両側は、丘陵を切り通しにより高低差を少なくしているため、両側は急な法面となり、コンクリート被覆で覆われているが、こうした斜面が切れ、丘陵を登る道が現れた。入口には、瀧山城址入口の幟がたっていた。この道を進むと曲がりくねっていて、現在の国道16号ほどではないが、八王子周辺の古道によく見られる切通しの道であることが分かる。200年ほど前に伊能忠敬が測量した大図の屈曲がこの道の曲がりと一致する。この道は、少し先で病院の入り口にぶつかり、そこから中は柵で入れなかったが、200年以上前の街道が瀧山城址の登山口として今も残っていることを発見することができた。
 依然として雨は降り続いていたが、一旦国道16号に戻り、更に南を目指して歩き、国道16号から病院内に続く反対側の登り口を探したが、発見することはできなかった。
 丘陵の坂を下り、国道16号バイパスと交差する広い交差点を渡り、さらに南下する道路の西側に急な階段が現れた。階段の上は神明神社になっていた。神明神社から更に南に進み、国道16号を東側に渡ると、中央高速道路八王子インターチェンジの下を抜ける道がある。国道16号から離れ、この道を南に向かうと、道端に道祖神が祀られており、この道が古くから存在していたことをものがたっていた。
 道祖神を過ぎて更に南を目指し、インターチェンジの下のトンネルを抜け、坂道を登り、もう一度高速道路の下のトンネルを抜けると、南に開けた斜面に出た。この斜面は公園だが、この公園の北の端に沿って西に向かう。公園を過ぎたところに学校があり、学校に隣接して、住宅が立ち並ぶ。そんな住宅の中の道端、丘陵の最頂部付近で「古い道標」が立っているのを見つけた。石に刻まれ文字が白いペンキで塗られ、「日光道」と読める。ここにもまた古い街道の痕跡を見つけることができた。
 国道16号が今のルートになったことで、今ではあまり聞かなくなってしまったが、少し前までこのあたりの山は鵯(ヒヨドリ)山と呼ばれ、この峠道を登る坂を稲荷坂と呼ばれていた。
 曲がりくねった稲荷坂を下ると国道16号に戻った。初参加のIさんが伊能図の大図に描かれた測線を2万5千分の1地形図に対比した地図を作成しており、この地図を見ると、伊能図のルートは国道の反対側に続くよう描かれているが、現在の地形図には対応する道がかれていない。
しかし、よく見ると少し前まで住宅のあった平地部と裏山の斜面との境に続く南側に道がある。少し下ってその道を確かめてみると、多少道の形は変わっているように見えるが、伊能図のルートに重なるところに今も道が存在していることがわかる。
更に下ってこの細い道の南の道端には、やはり道祖神が祀られており、この道が伊能図に描かている古い道である可能性が高いことが判明した。

雨は歩いている間中、ほとんど降り続いていたが、結局予定のルートを歩き通したので、近くのバス停からバスに乗り、JR八王子駅に向かった。 最後は、初参加の二人を交え、駅前で労をねぎらいながら懇親を深めて解散した。

 

散策ルート
写真位置

東福寺笛継観音堂


谷地川の旧河道
 

日野用水


多摩川の取水堰から引かれた日野用水


平集落の道端で見つけた道標(残念ながら文字は読めない)


平集落の大銀杏


平集落の民家に祀られている東照宮


国道16号から瀧城址への入口に伊能図に描かれた旧道が今も残っていた


国道16号から八王子ICを抜ける伊能図のルートもは道祖神が祀られていた。


鵯山山頂付近で見つけた日光道の道標

 

 

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